ご相談者様は私に、このような事を言いました。
「ある人から神棚を祀った方がいいと言われ、三社のお社をお祀りしています。真ん中に天照大神様、その他は五社神社のお札と氏神様のお札です。その人に言われた通り、ご真言を唱えていますが、ご真言を唱えると何だか体がフワフワと変な感じになり、めまいがしたりします。その人に連絡して話をしたのですが、『それはあなたの信心が足らないからです。もっとしっかりと拝みなさい』と言われ、こんなにやっているのにどうしたらいいのかと聞いても、あなたが悪いとしか言ってくれず、ついには『あなたの面倒は見られません。もう電話もかけないで下さい』と一方的に切られてしまい、この先この神様はどうしていったらいいのかわからず、相談に来ました」との事でした。
酷い事もあるものだと思いながらお聞きしていると、「本当にバチが当たるのでしょうか?」と不安げです。
「あなたが神仏に対してひどい事をしたならそういうこともあるかもしれませんが、あなたは占い師に言われた通りの事をしていただけです。今回のお話しではその占い師が単にモノを売りつけるだけの人だったという事ですね。神仏を祀ってからはそれからが長いお付き合いになり、信仰の仕方を導くのが霊能者としての役割だと私は思います。大丈夫です、こちらでその神様とご縁を結び、どうしたらいいかをお聞きする事が出来ますので。」と言いますと、
「ああ・・・よかった!その人から突き放されてしまって神社の神主さんにお聞きしても他で祀ったお社なので責任が持てずわからない、といわれて途方に暮れていたのです。」と大変うれしそうでした。
以前の日本のお寺には八幡宮やお稲荷さんがあったり、また神社に不動明王や観音様が安置されていたりしたものです。本来、仏教と神道は日本文化の中でじっくりと時間をかけて熟成されていったものでお互いが深く影響し合っており、やすやすと切り離すことはできないのです。
しかし、明治政府はそれらを切り離してしまうという最大の愚策をやったのですが、おかげで伝統はバラバラに寸断され、断片だけ残って意味のわからない事態になってしまいました。実は昔の日本の信仰のほうが、つじつまがあうのだと私は考えます。
神社の神様は日本人の感性とすごくフィットしますが、ご機嫌を損ねるとちょっと大変です。仏教の尊格は悟った存在で世俗の欲望を超越しているので、欲望がまだ残る日本の神様が最終的に救いを求める場所でもあります。以前の日本では両者が協力していたのでしょうね。
そんな事からお社で仏教系の仏様をお祀りするのは間違いではありません。
しかしながら、今回の場合のように仏教系の仏様へ向けてのご真言を、神様のお札に向けてお唱えするのは明らかに間違いです。なにしろ、そのお社には仏教系の仏様の御印がないのですから。
わかりやすく言うと、天照大神様に向かって明王様や菩薩様のご真言や禅宗の般若心経を唱えるようなものです。
それではどんなに寛大な神様でもビックリなさるでしょうし、困惑しますよね。
ご相談者にはこう言う内容をお話しし、ご真言は止めていただき、「祓い給え、清め給え」だけでいいので神道系の言葉に変えるようにアドバイスしました。
1週間様子を見て頂き、めまいなどが起こらなければやり方は間違っていないので、そこから次のステップへ移行して行きましょうというお話しにさせていただき、本日は終了しました。
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