最近ご相談で多いのが「永代供養」についてというもの。
最近ではお墓をお守りする親族も遠方にお住まいだったり、金銭的な余裕がなかったりという理由で「永代供養」を望まれる人が多く同時にご相談も増えております。
本日はご親族が亡くなった後、四十九日もそこそこに永代供養をなさったご家族がいらっしゃいましたのでそのお話しです。
そのご遺族は今後、お盆も1周忌もなさらないという事で、私どもと致しましては何となくモヤモヤするので、書いてみました。
あくまでも一個人としての感情ですので、お読みになってのご感想はいろいろかと思いますが、お聞き流しいただけたらと思います。
ご相談者のご両親はそれまで借家に住んでいましたが、ご相談者が建てた一軒家で同居することとなり、ご両親、特にお母さまは大変喜んでいらっしゃいました。
数年経つうちにお父様が次第に認知症を患い、施設に入る事となりました。
ここまではごく普通にある事です。
しかし、このご家族の父親はお母さまと結婚してからほとんど働かず道楽し、お母さまの稼ぎだけで生活をして来たという経緯があり、それを見て育ったご相談者もお母さんの事をずっと気に病み、「本当は母親だけ引き取りたかった」と言わしめるほど。
このご家族の人生はとんでもなく波乱万丈だったのだと推測され、お話しをお聞きしますと心情的にはとても同情してしまうお話しばかりです。
さて、私のモヤモヤの原因は、このお父様が亡くなり、通夜、告別式、四十九日へと流れていく一連の中で、お母さまとご相談者様の「死者に対しての扱い方・周りの人への言葉かけ・納骨までの過ごし方」があまりにひどいと感じてしまう事があったからです。
お父様が亡くなった時、私へLINEが入りました。本来なら、第三者である私にLINEなど打っている暇はないはずですが、どうしても私に愚痴りたかったのでしょう。今まで父親が母親や自分にして来た仕打ちを延々書いて、最後に「地獄へ行け」「ようやく死んだか」などの暴言が書かれており、読んでいて吐き気がするほどでした。
通夜に行きましたらお母さまが「ようやく死んでくれたよ~、ホントにうれしいよ~」と。
確かにお母さまにとっては「こんな父親でもいないよりマシか・・・」という思いもあって我慢に我慢を重ねて離婚をしなかったという経緯もあり、それまでお金をむしり取られ、ダニのようにつきまとった相手が亡くなったのですからその言葉も理解は出来ます・・・・が、それを通夜の席、それも親戚やご友人などお参りに来た人に投げかける言葉でしょうか?
たとえ心の中ではうれしいという感情があったとしても、みんなのいる前でそういう言葉はNGなのでは?と私は心の中で思いながらも、「今まで苦労して来たからね。本当にお疲れ様」としか言葉が返せませんでした。
さて、お葬式が終わり七日七日の法要がなされていると思われる頃、LINEが来ます。
「リビングに黒い影のようなモノが出たのですが・・・」「父のお骨に話しかけるのはやめた方がいいですか?」「深夜家の廊下を通る人影を6回見ました」「母が遺影を見てイラついています」「四十九日が終わったら遺影を植木鉢で燃やす」「ヤツも片付いたし母にはのんびりして欲しいのに母から、悔しかった、苦しかった時の事を何度も聞かされています」「たまに霊が帰ってきているのか、人影が4人通りました」「ひたすら『成仏しろ!』と唱えています」「お供えは朝食のみ」「親父が死んでから小さな不幸が続いています、偶然ですか?」「親父に恨まれているんですかね?」「夜寝ていると瞼越しに何かが横切る」「弟が来たが、線香は絶対に上げて行きませんでした。それだけ許せないのでしょう」「今朝、異臭で目が覚めました。何かが腐ったような・・・」「腐ったしたいとかが来たんでしょうか?」「親父の弟に知らせず葬儀を済ませたので、バレたらきっと目をむいて怒りますよね」「納骨まで親父の兄弟にバレない事を祈っている、自宅に来てもらいたくない」「四十九が終わったら速攻遺影を燃やすつもりだったのに、一周忌まで必要みたいです、チッ!(舌打ちの意味の様です)」「遺品で売れそうなものは全部売り払った」「普通ゴミで大抵の物は捨てた」「四十九が過ぎたので永代供養で納骨したのでせいせいした」「ヤツの遺品を売ったお金は葬儀関係に全て使い切ってやった」「ヤツは死んでも恨まれる・・・ある意味才能ですかね?」「葬儀費用、結局マイナスでした」「父が弟に憑依しているのか?弟が暴れるようになったとお嫁さんから相談があった」「母が親父がシャワーを浴びた後のような、全身ずぶ濡れの全裸でニコニコ笑って立っていたのを視たと言った」「四十九が終わったのになぜ気配がしたり視えるんですか?」「成仏していないのなら、和尚も役に立たない」「四十九で成仏するんではないのですか?」「成仏と供養は別なんですか?」「もしかすると成仏したくて出て来たのか?」
さて、みなさんは四十九日終了辺りまでのLINEを読んで、どのような感想を持たれますか?
とにかく四十九日までは亡くなった人の魂がどこに行けばいいかを神仏によって諭される期間なので、自分が死んだことを認識し、みんなとお別れをし、成仏、浄化の道を見つけて進んで行かなければならない大切な期間です。その時にやたら声を掛けたり、降霊をしたりするのは得策ではありません。せっかく成仏しようとしている魂を迷わせてしまいますので。
その事をこのLINEが来ている間、私は「まずは四十九日が終わるまではそっとしておきましょう」とずっと言い続けました。
しかしながらこのLINEを改めて文字に起こしてみますと、ご相談者様の心の根底には「憎いけれど子供として父を慕いたかった気持ち」があふれています。
お母さまの心にも「働いてくれさえしたら特に悪い人でもなかった」など、恨み節の裏に本当はこうあって欲しかったという気持ちが見え隠れします。しかしそう言っても、お父様がこの世で彼らにした仕打ちは到底許されるものではなく、謝罪してもし足りないでしょう。それだけの事をこのお父さんはしていたのです。
このご家族は四十九日が住んだらすぐさま「永代供養」としてお寺に納骨してしまいました。普通だったらお盆と一周忌くらいはするものだと考えますが、彼らは故人に対する恨みが強く、お盆も一周忌も行わないと公言していました。それもまた、私の心に影を落としたのです。
人間の心というものは、たとえ恨んでいる言葉を吐いていても、その実、懐かしんだり慕っていたり、本当は仲良くしたかったなど複雑な感情が渦巻いています。彼らは自分でも自覚していない心の琴線にいつか気付くことがある事を願いながらお話しを終わりにします。
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