メディアなどで
「あなたを守ってくれている守護霊は・・・」
とか
「あなたの人生における指導霊は・・・」
などなど、主にはご先祖様や親友などご自分に近しい人があたかも守ってくれている、という間違った認識の元に占いなどがなされています。とても嘆かわしい事です。
私は今まで、ご先祖様が心配のあまりに成仏出来ず、近くにいる、あるいは一定期間守護している状態は確認しているものの、その人の生涯を通して守っているというご先祖には出会った事がありません。
確かに心配して近くに寄り添ってくれている先祖さんはいらっしゃるでしょう。しかしそれは心配のあまり成仏出来なくて苦しんでいると思った方がいいでしょう。
そもそも「霊」というものの定義は「未成仏の霊」とされ、苦しみや悲しみを訴えたり、亡くなった事が受け入れられず魂になってもこの世に留まっている状態をいい、苦しんでいる状態のまま自らの意思で、ある一定の人物を守ると言う事は考えられず、ましてや亡くなったばかりの人の魂が「人を守る」事は出来ないことなのです。
どちらかというと、亡くなってもなお苦しみから解放されないので「助けてくれ」と生きている子や孫にすがってくるのが現状です。
私は神道の立場ですが、ここではわかりやすく仏教の視点から考えてみたいと思います。
仏教では人が亡くなると、初七日、その後ご住職やお上人様により七日毎にお経を読んでいただき四十九日まで法要し、さらに1年後に一周忌、2年後に三回忌、6年後に七回忌と法要を行っている事が多いものです。三十三回忌(地域によって差があり四十九回忌、五十回忌のところもある)を迎えると、「弔い上げ」といって、このような法要を打ち切り「永代供養」の塔に合肥される事が多いようです。この「弔い上げ」は、生木の葉がついた塔婆を建てたり、家で供養していた「位牌」を寺に納めたり、川に流したりと地域の風習が色濃く出ます。
この「弔い上げ」を終えると、一個人としての死者の供養は仏教的要素を離れ、「先祖の霊」というくくりとなります。これが「祖霊」と言われるようです。祖霊は、清められた先祖の霊として、家の屋敷内や近くの山などに祀られ、その家を守護し、繁栄をもたらす神として敬われるという歴史があるので、前述の通り、先祖の霊を「ホトケ様」「カミ様」「ご先祖様」と呼ぶことにはこのような意味があるようです。
一般的に霊能者などの力によって供養をせず、自然に任せた場合は三十三回忌をめどに祖霊となった後はこの世で苦しんだこと悲しんだこと、闘病の苦しみや事故などの痛みなどから解放され、次なる新な生まれ変わりのために「輪廻」の輪に入る事が魂としての目標となります。
それが出来ずさまよってしまう霊は「未成仏霊」あるいは「浮遊霊」「お化け」と評されるような状態でいるしかないのです。
この世において余程の「修行・得度」をした人物ならば神格化する事もあるのかも知れませんが、およそそういった事例には行き当たった事がありません。
さて、ご相談者の中にはかなりの確率で「私に守護霊はいますか?」と質問なさる人がいます。
答えは NO です。
先に述べた通り、ご先祖様が守護霊としてご自身の事を一生守ってくれているとしたら、そのご先祖様はご自身の一生が終わるまでずっと成仏出来ず、痛みや苦しみから解放されないままの状態で守ってくれているというお考えということですね。
それは間違っています。
メディアで露出度のある有力な霊能者や占い師が「守護霊」というワードを使ったために、生きている人は自分の身近な人に守ってもらいたいという「わがまま・我」によってせっかく成仏しようとしているご先祖様やお身内をこの世に引き戻し、それこそがんじがらめにして縛ってしまっているのです。
ご先祖様は守護霊にはなりませんし、なる事は出来ません。
生きている人の不安を煽り、あたかもご先祖様が苦しんでいるかの如く「先祖供養」をけしかける占い師もどうかと思いますが、ご先祖様に守られているという間違った認識を刷り込まれている大勢の人々がいる事も事実なのです。
私達は亡くなった人の一刻も早い成仏を願い、日々ご仏壇に手を合わせて行きましょう。
「こちらの事は心配ないよ。成仏してね。」
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